「介護のIT化」はまだ準備の前段階、介護ITエンジニアという職種の確立に光明を見出す

介護業界の生産性向上は喫緊の課題だ。介護の現場で働くケアマネジャーの最も大きな悩みは「記録する書式が多く、手間がかかる」で70%以上を占めていることが厚生労働省の調査(※1)でわかった。介護では、提供したサービスの結果を自治体に報告しなければならない。報告書は事業者の収入となる介護報酬の計算に使われるが、書類作成には多くの手間がかかり業務時間が圧迫されている場合もあるという。

この状況を受けて厚労省は生産性改善に向けた取り組みを進めている。第1弾として2018年度からは行政への報告を電子化。事務作業を効率化することで利用者へのサービスに回す時間を増やそうという試みだ。また2020年までにITを全面導入したシステムの整備を行い、介護業界全体の労働生産性底上げを目指す。

少子高齢化でますます高齢者が増え介護の需要が伸び続ける一方、介護業界の人手不足は深刻であり、2025年時点で38万人の人材が足りなくなると予測されている(※2)。この課題を解決するためには、介護人材を増やすだけではなく、作業効率化によって人手不足を補うことも重要である。テクノロジーの導入が効率化の手段として有効なのは、他産業で盛んに行われているIT化の例を鑑みても間違いないだろう。

だが、介護業界のIT化は他産業に比べて遅れをとっている。介護業界においてIT化は進むべき道であるにもかかわらず、なぜ導入が進まないのだろうか。それは「介護業界に精通した『介護ITエンジニア』がいないから」だという。介護業界とIT業界の架橋を担うべく奮闘している株式会社ビーブリッド・代表取締役の竹下康平氏に話を聞いた。

交流のない介護業界とIT業界

「介護事業者でも一部の大企業などではIT活用を進め、生産性を向上させようという試みが始まっています。ただ、介護事業者のほとんどは中小企業によるもので、資金やそれに割く人員にあまりゆとりがありません。一般的に、そうした事業者がIT化を進めることは非常に難しい。しかし、そのような状況でもできることをやるという、企業努力は必要だと思います」

ビーブリッド・代表取締役の竹下康平氏。SE、システムコンサルタント等を経て、2007年より介護業界でのIT業務に従事。介護事業者向けITサポートサービス「ほむさぽ」を中心に、介護業界のICT利活用と普及のための相談・代行業務等を展開

また介護は人対人の労働集約型産業で、ITでは対応できない部分も多い。実際に現場でなされるサービスは車いすへの移乗や清拭(身体を拭くこと)など、介護者自身が身体を動かして行うものがほとんどである。そのため、IT化できる作業が少ないのだ。先ほどの資金面の課題に加えて、この点も介護業界で何年も横ばいのままIT化が進んでいない理由として挙げられる。しかし、IT化が進まない理由はこの二つだけではないという。

「製造業界や金融業界といった他産業では、それぞれの業界に特化し、業界事情までもよく熟知したIT企業やITエンジニアがいて、現場で働く人々と双方向の議論を行ったうえIT化が進められています。しかし介護業界の場合、そもそもIT業界との交流が全くなく、双方向の議論が成り立っていません。そのため、介護業界のIT化はまだ準備段階にも届いていない状況だと言えます。現段階では残念ながら、エンジニアが介護業界で活躍できる環境自体がほとんどないと感じています」

例えば、製造業界に特化したIT企業であれば、製造工程や手法などをその業界の従業員並みに理解しており、顧客の要望に対してどうするべきか議論できるITエンジニアがいる、俗に言う業務SEだ。しかし、介護業界とIT業界は交流がほとんどないことから、介護事業者がIT化を進めたいと思っても介護業界に精通したIT企業もなければ、介護業界を知っているITエンジニアもいない。IT企業側も介護業界の知識がなく、判断基準を持っていないという状況だ。介護業界側とIT業界側のお互いの理解が足りていないことがIT導入における最大のネックになっていると竹下氏は指摘する。

「現場の状況を知らずに製品開発をしても、ニーズに沿ったものはあがってきません。これでは開発側も発注側も不幸になるだけです。介護業界向けのITサービスを提供する場合は、現場に行って実際に働いてみたり、エンジニアを常駐させて情報収集したり、そういった人同士の交流がまずは必要だと考えています。IT企業は現場のニーズを吸い上げたうえで何をIT化すべきなのかを考え、またそれを介護事業者側に伝える。そして介護事業者は、そこに投資をすべきか検討し、改善すべきポイントがあれば、それをIT企業へフィードバックする。この流れがなければ、介護業界に必要とされる本当の意味でのIT化は進みません」

お互いに理解がないまま、IT化を推し進めようとしても、介護現場からの要求をすべて盛り込んでしまい非常に高額なものになってしまったり、反対にIT企業側から勧められるがままに導入しても使い勝手が悪いとか、ニーズに沿っていないものであったりと使われなくなってしまうこともある。

「これではせっかく導入しても無駄な投資で終わってしまいます。現場で何が課題となっているのか、どういう目的でITが必要なのか、その洗い出しが重要です。現場が『使わされている』ではなく、『使いたいもの』でなければ意味がないのです」

「最近、介護業界に興味を持ってくれるITエンジニアやIT企業が増え、少しずつお声がけをいただいています」と竹下氏の活動がようやく芽が出始めた

介護×IT、分けて考えるべき二つの場面

介護のIT化において想定される場面は大きく分けて二つある。一つは日々の介護記録や介護報酬の請求などのデータを整理する事務作業的要素のものと、もう一つは介護の現場そのもので使われるもの。この二つは分けて考える必要があると竹下氏はいう。

「介護記録でいえば、日々の介護記録をデータ化しておくことで、担当者の誰もがその方の日常の暮らし方や性格、行動の傾向などを瞬時に把握でき、次のケアに活用することができます。こういったデータの有効活用や事務作業の効率化はもちろん必要です。ただし、このようなデータの活用や事務作業効率化のICTと、人対人の介護の現場で使われるICTをいっしょくたにして考えることはできません。介護の現場には、それぞれの現場で異なったニーズがあります。それゆえプロダクトは現場への理解にもとづいた、各現場のニーズに沿ったものでなければならず、データの活用や事務作業効率化とは全く別物として開発することが必要です。現場を熟知していなければ、的外れのものができあがり兼ねません」

例えば、介護付有料老人ホームと呼ばれる種別の施設では、入居する要支援2以上の入居者3人に対し、1人以上の職員の配置が義務付けられている。こうした介護業界のルールや法令、介護保険制度、そして現場の業務知識を理解した上で、現場の無理無駄を省いてどう最適化していくか、どう課題を解決すべきかを考えなければならない。

求められる現場の意識と、介護ITエンジニアという職種

ビーブリッドでは2ヵ月に1回「介護ICT交流会」を有志と共に開催しており、今までに6回行っている。これはその名のとおり介護業界とIT業界の人材交流会だ。

「毎回、介護側とIT側合わせて10数名程度に参加してもらい、『お互い仲良く交流しよう』という趣旨で行っています。介護側は経営者や施設長の方に多く参加してもらっていますが、もっと現場の方にも参加してもらいたいですね。この会が目指すものとしては、介護現場の方とITエンジニアの意見交換の場をつくることです。プロ同士であれば、現場にある本当の悩みや、それに対するITを利用した解決策など建設的な意見交換ができるのではないだろうかと思っています」

竹下氏は交流を足がかりに「介護ITエンジニア」という介護業務SE職種を確立させることを目標にしている。この職種が生まれない限り、本当の意味での「介護のIT化」は進んでいかないというのが竹下氏の考えだ。

「介護ITエンジニアが誕生するには、ITエンジニアが介護業界で『飯を食べていける』ようにするしかない。そういう受け皿が業界になければ、その業界に特化したエンジニアは育っていかないですよね。求人で「介護、ITエンジニア」で検索しても、現状ではほとんど案件がないと思います。今でもまだIT化の準備段階にも届いていないというのはこういうことなんです。それにも関わらず『介護×IT』が叫ばれ、ブームのようになっている現状ではいけません。設立当時、このような状況を『なんとかしなければ』という思いからビーブリッドを立ち上げました」

竹下氏は、介護業界とIT業界における相互理解やIT化の促進のためのセミナーや、介護職員とITエンジニアの交流イベントなども積極的に行っている【同社提供画像】

ビーブリッドは介護、医療、福祉業界専門のヘルプデスク窓口「ほむさぽ」というサービスを提供している。PCやOA機器の設定から、ネットワーク環境の整備、セキュリティ対策、トラブル対応などをはじめ、IT導入から運用安定化といったIT化までもフルサポートしてくれるサービスだ。同社には現在、7名のスタッフが在籍しており、ケアマネジャー、介護福祉士兼ITエンジニアなど、介護現場の経験者が半数を占める。そのため、介護現場で働く職員が介護の言葉で問い合わせしても、同じ目線、同じ言葉でサポートが行われる。これが「ほむさぽ」が介護事業者に支持されている理由である。

「ITのシステムは、導入したらそれで終わりというものではありません。使っているうちに出てくるシステム更新やシステム変更、ちょっとしたエラーなどでさえ、それに対応できる人材を抱えている介護事業者は多くありません。システムは導入したら5年、10年と使い続けるものだと思いますが、どうしたら使い続けられるのか、その『保守運用』という考えが今までは足りなかったのではないかと思っています。ですので、『ほむさぽ』では介護事業者のIT運用上の問題に対して製品やメーカーを問わずサポートしています。いわゆるITの『相談窓口』や『お困り事の何でも屋』だと思っていただければ。また、ある政令指定都市の行政がこの保守運用の考えに賛同していただきました。その市町村でのサポートを提供していく予定です」

ビーブリッドには介護現場の裏側まで熟知した経験者がいるため、現場での困り事を理解でき、それをエンジニアに伝え、解決策を見つけてフィードバックすることが可能だ。また、介護向けのプロダクトに限らずインターネットや表計算ソフトなど、普段使いのソフトやハードの「困った」でも相談できる。介護の現場ではPCやタブレットなどに不慣れな人たちも多い。そのため、IT化の必要性を感じながらもいざ導入するとなると拒絶反応を見せる場合も少なくないという。『ほむさぽ』はそうした事業者のIT導入ハードルを下げる存在であるとともに、IT化によって現場をより良いものにし、さらにそれを維持しつづけるための強力な伴走者になってくれる。

「もちろん当社がサポートさせてもらう場合は、現場でも『諦めずに使い続ける』という努力はしてもらう必要はあると思います」

竹下氏は「ITは道具。道具は万能ではない。しかし、より良くするための手伝いをしてくれるもの。その道具には目的が必要です。目的は現場で作られます。現場主導の目的がなければ、またITエンジニアがその目的を適切に咀嚼できなければ、ITは無用の長物になります」と締めくくった。介護のIT化はまだまだこれからだ。IT化への現場の目的意識や課題意識、ITエンジニアの介護知識、介護とITの交流が求められている。介護×ITという分野を開拓する竹下氏の挑戦は続く。

(※1)(5)居宅介護支援事業所及び介護支援専門員の業務等の実態に関する調査研究事業(結果概要)、厚生労働省2016年3月発表
(※2)2025年に向けた介護人材にかかる需給推計(確定値)、厚生労働省2015年6月発表
(※3)IT人材の最新動向と将来推計に関する調査結果、経済産業省2016年6月発表)

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